Pucelleダイヤリー
オタ話全開と親バカ日記 たまにSSも載せてみたり
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せっかくなのでこっちでも再UP
約 束
図書隊の花と謳われ、隊員からも利用者からも熱い視線を送られる柴崎とは意味が多少違うが、郁の人気もなかなか高くあなどれない。
ただし郁の場合は、その大半が幼い子供か小学生といった可愛らしい人気だ。時には中学生や高校生といった大人予備軍が声をかけてくる場合もあるが、彼等もまた数年来の図書館利用者の常連であり、郁に対する接し方は異性にというよりは、友人もしくは仲の良い部活の先輩といったところか。
堂上班が館内業務の時など、返却図書の入ったワゴンを押し閲覧室内を移動する郁と、その後をじゃれ合いながらついて行く小さく可愛い利用者の行列は、郁が子供達を注意する声と共にちょっとした名物にもなっている。
「郁ちゃん!」
今日もまた、郁の可愛い信奉者が息を弾ませながら走り寄ってきた。その小さな腕には大きな絵本を抱えていて、遠目で見るとまるで足の生えた絵本がこちらに迫ってくるようだった。
午前の業務を終えて堂上班で昼食をとるために図書館から図書基地へ移動中だった郁は、自分の名前を呼ぶ声に足をとめると、顔見知りの幼い少女が駆けてくる光景に慌ててそちらに走った。そして少女が転ぶ前にしっかりと抱きとめる。同じく足をとめ振り向いた堂上も、無意識に安堵の息を吐いた。
それほどに駆け寄る幼子は危なかったのだ。
「由利ちゃん、走ったら危ないからやめよう?」
しっかりと少女を抱きしめた郁が、小さな顔をのぞき込みながら注意をしたが、由利と呼ばれた少女は意味が分からないのかきょとんとしているだけだ。そして絵本を郁の目の前に差し出してくる。
「郁ちゃん、この本読んで。由利、たくさん待ったよ」
無邪気に郁を見上げる幼子に、郁は「あっ」と小さな声を発した。
数分前の、まさにこの少女とのやりとりを思い出したのだろう。
堂上もその時の事は記憶にある。
今日の館内業務の郁の仕事はカウンター業務と配架業務だった。少女が最初に郁のところへ寄ってきた時はカウンターで貸出業務の真っ最中であり、やはり本読みをせがんできた少女に郁は「ここのお仕事の後で読んであげるね」と話していたのが近くにいた堂上の耳にも入っていたのだ。
この少女は毎日ではないにしろ、頻繁に母親と武蔵野第一図書館に通っている。そして来館した際にはいつも簡単なお弁当持参であり、6階にある図書館利用者向けの食堂兼休憩スペースで昼食をとっている事も知っている。
由利が貸出カウンターに来た時は正午まで10分程であり、たぶんそろそろ母親と共に昼食をとりに6階へ行く筈だ。だから郁の言う「後で」は昼食後のつもりだったのだろう。確かに、午後は児童ルームで本の読み聞かせをする予定だった。
けれど少女にとっての「後で」は郁がカウンターから離れた瞬間の事であり、あの時からまだ10分ちょっとしか経っていなくても、幼い子供にとっては「たくさん待った」のだ。
「そうだったね、約束だったもんね」
郁も堂上と同じ考えをしていたに違いない。少女に目線をあわせ、やさしく小さな頭をなでると手をとり立ちあがった。
「堂上教官、あたし、由利ちゃんの本を読んできます。」
少女から絵本を取り、脇に抱えた郁が頭を下げた。
貸出カウンターでの出来事からすれば、郁のこの決断は予想済みだったので堂上はただ頷いた。
だが同じく郁と少女を見守る形となっていた手塚には意外だったようだ。
「いいのか? 昼休みなくなるぞ」
「うん、約束したから。ね、由利ちゃん」
少女と手をつないだ郁は手塚に苦笑ではない楽しそうな笑みで頷くと、そのまま少女へ首をかしげた。
今ではもう気持ちに蓋をすることを止めた堂上にとって、そんな彼女を愛おしいと素直に思う。
「それじゃ」
先にいって食べてて下さい。間に合うようなら追いつきますから。
そう言い残して少女と来た道を引き返そうとする郁を堂上が呼びとめた。
「笠原」
腕時計で今の時間を確認しながら郁の待つ位置へと近づく堂上の胸の内には、約束という言葉が大きくクローズアップされている。
どんな小さな約束も、他愛ない約束も大切にする郁。
「30分、休憩時間をずらしていいぞ。1230から1330までの休憩時間とする」
「はい、有難うございます!」
まるで重要な任務を受けるかのような真剣な顔で敬礼をする郁に、堂上は苦笑しながら彼女の頭にポンと手を置いた。とたんにくすぐったそうに笑う郁が可愛い。
お前、俺との約束も覚えてるか?
茨城の準基地に咲いていたカミツレの花々の前で交わした、約束ともつかない会話だったけれど、あの日から何度も切り出そうとして出来なかった自分の不甲斐なさを、今なら解消できる気もした。
目の前の少女の力を少しだけ借りて。
俺もここまで来るのに、あらゆる意味で「たくさん待った」から。
「それとな、笠原」
「はい?」
郁の頭に置いた手はそのままで一瞬だけ傍らの幼い少女を穏やかに見下ろして、次の言葉を口にするには僅かながらも緊張をした。
「そういえばそろそろお茶探しとけよ」
郁の昇任試験合格の際に筆記の教えたお礼に、カモミールのアロマオイルを手渡された時と茨城県立図書館の温室で交わした時と。カミツレのお茶を飲みに行くという堂上にとってそれは大切な約束だった。
「そういえば」などといかにも今思いついたかのようなわざとらしさ。さり気なさを言い繕えただろうか。
台詞とは裏腹な思い入れたっぷりの自分に、一体俺は思春期のガキかと苦りつつ郁に目線を移せば、彼女は突然の堂上からの申し出に驚き目を見開いたのだが、やがて見る見る薄桃色にそめた頬が見て取れた。
「はい。あの……実は、いくつか候補はあるんですけど、どこにしようか検討中でしてっ!」
「そうか。俺はハーブティの事は全く分からんからな。お前の行きたいとこでいいぞ。楽しみにしている」
郁はちゃんと覚えていた。それだけで気分が浮上する現金さに苦笑しながら、堂上は軽く郁の髪をくしゃとかき交ぜ、最後にポンと叩き手を話した。
踵を返し小牧と手塚が待つところへと足を進めた堂上の背中に、かすめるような郁の声が届いた。
「あたしも、楽しみにしています」
ああ、本当に。
その日が俺達にとって一生忘れられない日になるといいな。
立ち止まりも振り返りもしないながらも、堂上の口元には普段では見せない柔らかな笑みが浮かんでいた。
* * * * *
(Rinakoのひとりごと)
さりげない日常の中で、大切なワンシーンがあるといい